人と人との関わり方

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現代の日本人は対人関係で悩むことが多く、ストレス要因として対人関係に関わるものが占める割合が高いように思います。カウンセラーとして仕事をしていると、人との関わり方に強い不安を抱いている人が多いなと感じます。人と関わる際の不安の抱き方は様々です。例えば、怖そうな人物や威圧的な人物に対して不安を抱くという場合があります。また、親しい友人との間でも不安を抱きやすいという場合もあります。表面上はうまく関わっているように装っているけれど、本人の内面では「自分の発言や意見をバカにされたらどうしよう」とか「おもしろいことが言えないと、仲間から敬遠されてしまうのでは」と思っていたりする場合もあります。しかし、親しい間柄であればあるほど、そういう不安を相手に見せることができずに悩み、なんとかそれを取り繕うことはできないかと様々な工夫をしたりします。「暗い人だ」と思われないようにと気を遣い、相手が自分の発言にどう反応しているのか、相手の顔色や態度をうかがうことにエネルギーを注いだりします。その結果、仲間関係の中で大きな失敗はしないものの、どこか居心地が悪く、疲れてしまい、自然な自分のあり方からかけ離れてしまうことになります。

中には、こんなに不安を感じたり疲れたりするくらいなら、人間関係から退却してしまおうとする人たちもいます。出社、登校をせず、人が集まる場面にも出向かなくなり、ひっそり自分一人だけで過ごしたりします。しかし、退却することで不安や問題が解消されるかというと決してそうではないようです。誰とも接触しない生活を続けると、人は孤独に陥ります。まるで社会からのはみ出し者になったような気持になります。また、完全に一人きりでいる時はまだよいけれども、他の人たちが人との関わりを持って楽しそうに生活を送っている姿を横目で見ると、自分の人生がやるせないものに感じられて気持も沈んでくるといいます。人と関われば不安を感じるし、関わらないと孤独になるしという具合に、矛盾や葛藤がつきまといます。

しかし、近年は、こうした対人的不安、葛藤をある程度解消してくれる媒介物が登場してきました。インターネットや携帯メールなどがそうです。これらの媒介物は、人と人とが直接対面してやりとりをするのとは少し異なったコミュニケーションを行なえるものです。

直接対面して関わる場合には、私たちは言語的メッセージと非言語的メッセージを交わします。そのようなお互いの反応、メッセージは、瞬時にダイレクトに相手へ伝わります。リアルタイムでコミュニケーションが展開していくわけです。このような人と人との関わりあいでは、相手の反応を読みとると同時に、自分自身の心の中との対話も行っています。ところが、人と人との関わりの間に、先に述べたような媒介物が入ると、直接対面して関わる場合よりも利用しうる情報が制限されます。例えば電話の場合、視覚的な情報を使えなくなります。メールなど文字を媒介にする場合には、自分や相手の声の調子や息づかいなどの非言語的な情報は使えなくなりますし、対面してやり取りする場合に比べるとある程度の時間差が生じます。

このように、媒介物を介した非対面的なコミュニケーション状況は、相手の反応が詳細に分からなかったり、自分の反応をより正確に伝えられなかったりして、ストレスになることがあります。他面、相手の細かな反応を受け取らずに済む、自分の細かな反応を相手に読み取られずに済む、そしてお互いに鈍感であっても許されるというコミュニケーションが成立する状況でもあります。このようなコミュニケーションでは、ある程度不安が軽減することがあるのではないでしょうか。

人と人とが直接関わることなくコミュニケーションを行えるようになった今日では、人と人との関り方のバリエーションが広がったと言えるかもしれません。すなわち、人と人とが直接対面して行うコミュニケーションから、人と人との関わりとは呼べないほどに関わりが希薄なコミュニケーションまで、様々な形態があると思います。そして、様々なレベルのコミュニケーションの取り方を自分で選択することも可能となりました。連絡をメールで済ませる、電話で済ませる、直接対面して済ませる等、関わりの方法を選択ができるわけです。ですから、対人場面で不安が強い人が、不安がより少なくて済むコミュニケーション方法を選択するということも可能です。便利と言えば便利です。しかし、選択できるということは、自分にとって不都合なコミュニケーション方法はいつまでも避け続けるという可能性も生じます。人と人が直接会って行うコミュニケーションは、いわばコミュニケーションで発生する様々な要素がフルセットで瞬時に使われる複雑な過程です。そのような関わりから、視覚的な情報を排除する、あるいは聴覚的な情報を排除するなど、自分にとって不都合な要素をカットしていくと、断片化し偏ったコミュニケーションばかりが使われ、人と人とが直接対面して関わりあうコミュニケーションがうまくできなくなっていきます。

直接対面しての生の対人交流というものは複雑であり、複雑であるがゆえに人にとって豊かで貴重な体験となります。私たちは、選択幅の広がったコミュニケーション方法を上手に使いこなしながらも、部分的で断片化したコミュニケーション方法に偏らないよう、生の直接的な関わりあいを保持していくことが大切になってくるのではないかと思います。

(一粒の麦 No.40 2009年9月)

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2019年04月15日