失われた半分を求めて

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愛という言葉の意味を厳密に定義することはとても難しいですね。愛と一口にいっても、親が子どもに向ける愛、母性愛、きょうだいへの愛、師弟愛、自己愛など、考えてみると様々なものがあります。しかし、なんといっても青年期にある人たちの一番の関心事は異性への愛、恋愛ではないでしょうか。異性関係を上手に作っていくことは青年期の心の成長における課題でもあるため、恋愛に対する関心はこの時期非常に高いのだと思います。大学生の多くは、恋愛に対して「やすらぎを与えてくれるもの」「生活の活力や支えとなるもの」「人間を向上させるもの」などポジティブなイメージを持っているようです。しかし、恋愛がいつもポジティブなことばかりをもたらすとは言えません。実際に、恋愛関係で悩んでいるという大学生はとても多いと思います。異性への関心はあるけれど、うまく異性関係を持てず、好きな人を遠くから眺めているだけというように、なかなか異性とつき合うことができずにいる人もいます。好きな相手と付き合うことができたとしても、恋愛関係を続けていく中で、様々な問題が生じる場合があります。関係を壊したくないので不満を口にできない、あるいは愛する人が愛を返してくれなくなった。愛する人が違う人へ愛を向け始めた。愛する人にいい寄ってくる第三者がいて嫉妬心が湧いてくる。思ったことを何でも言い合ってしまうため喧嘩が絶えない…等々。自分の心の中で湧き起こってくる異性に対する様々な感情、激しい感情、時には自分でも認めたくないくらい醜い感情も経験することがあるようです。

恋愛においては、どうしてある特定の対象に「好き」という感情を強く向けるのでしょうか。ここでちょっとあるお話を紹介してみたいと思います。

プラトンという哲学者が書いた『饗宴』というお話があります。その中で、アリストファネスは愛について次のように語っています。昔々、1人の人間は男女両性を等しくそなえていたといいます。当時の人間の姿は球形をしていて、4本の手、4本の脚、2つの顔を持っていました。この人間は、力と強さを持つようになり、神々に謀叛をくわだてるまでになりました。それに困ったゼウスは、この人間を真っ二つに切断してしまいました。こうして人間の本来の姿が2つに分断されると、その半身はみな、失われた半身に恋焦がれ、いつも一緒にいたがるようになりました。別れた半身がみつからず何年も捜し求め続け最後まで見つからないという者もいれば、幸いにも半身を見つけ出した者もいました。たまたま自分の半身に他ならないものに出会うと、言葉にならない感動で我を忘れてしまいます。人間の男女が異性に恋焦がれ惹きつけられるという現象がうなずけるようなお話です。

プラトンのお話と似た考え方が臨床心理学の分野にもあります。ある心理学の学派では、人間の心は本来両性具有的であり、男性の心の奥底(無意識)には女性的なものが存在し、女性の心の奥底(無意識)には男性的なものが存在すると考えます。どういうことでしょうか。例えば男性の場合で述べます。一般に、男性は幼児期から男としての自分(自我)を形成、発展させていきます。すなわち、男性的な意識的態度やあり方を育んでいきますが、その過程で女性的なものは十分に生きられることなく無意識の中に沈殿し眠っていると考えます。この無意識の中に存在する女性的な傾向は、男性的な意識的態度に対して補償的な作用を持っています。このように、男性の無意識の中には「女性的なもの」が存在し、また女性の無意識には「男性的なもの」が存在するというわけです。男性の無意識の中の「女性的なもの」は、その男性が持つ理想の女性像や女性とはこういうものだというイメージに関係してきます。無意識の中心にあるものは、外界の対象に投影されやすいと言われます。例えば、男性がある女性と出会った時に、その女性が彼の無意識の中の理想の女性像と一致していれば、すぐにその女性が好きになるというようなことが起こります。女性の場合にも、これと同様のことが起りえます。よく言う「一目ぼれ」という現象は、このような無意識の中の異性像の投影によって起ると考えられています。

恋愛において、相手の異性に対して感じる魅力は、その相手の異性自身が持っている良い特性(容姿の美しさ、性格、等々)だけではなく、自分自身が抱いている「無意識の異性像」を投影したものからも成っています。場合によっては、相手に見ているかなりの部分が自分が持っている異性像の投影に過ぎず、相手のあり方を正確にとらえていないというケースさえ生じます。まさにプラトンが書いたように、恋愛は自分の失われた半身を求めているかのごとくです。恋愛関係を続けるということは、いわば間接的に自分の心の奥深くに眠っている「女性的なもの」あるいは「男性的なもの」と対話をすることでもあります。

 エロスとは、人間本来の全体性を取り戻そうとする欲望でもあり、他者との結合を目指すものです。しかし恋愛のみならず、それ以前の他者と関わること自体に恐れを抱いている人が現代日本には増えていると思われます。人と関わることをわずらわしいと思ったり、あるいは自分が傷つきたくないとか、相手を傷つけたくないという防衛的な気持ちから、他者と親密に関わらず、表面的にしか付き合おうとしない人もいます。しかし、そもそもまったく別個の人間同士が関係を持っていくのですから、ぶつかったり傷ついたりすることは当然あります。時に誤解やすれ違いもあるかと思います。しかし、理解しあうためには話し合いながら関係をはぐくんでいくことが必要なのではないでしょうか。

(一粒の麦 No.39 2009年3月)

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臨床心理士のカウンセリング-札幌のトポス心理療法オフィス

2019年04月16日