心の居場所

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最近、学生さんから、「大学の中に居場所がない」という言葉を聞くことがよくあります。彼らが言う居場所とは、単に物理的な場所を指すのではなく、「こころの居場所」とでもいうようなもののようです。またそれは特に彼らにとって友達関係が中心になることが多いようです。

入学後、大学で友達を作ることができるかどうかは新入生にとって大変な関心事です。ここでもし乗り遅れたら孤立してしまい、この先の学校生活が大変なことになってしまうのではないか。新入生は多かれ少なかれそのような不安を抱えながら新学期に臨みますから、友達づくりに必死になります。例えば、A子さんです。彼女は、勇気を出して近くにいる学生に声をかけ、連絡先を交換し、新しい友達を作ることに成功しました。一方B君は、体育会系のサークルに入り、その中で親しい友人ができました。サークルには先輩もいてB君は親切な先輩からいろいろと面倒をみてもらうようになります。サークルに入ると、集団の中の一員という所属感も得られるので、B君のその後の学校生活は、サークルの人間関係が中心になっていきました。こうしてA子さんとB君は、仲間との関係を発展させていきながら大学の中で充実した生活を送っていくことができました。二人とも大学の中で、「こころの居場所」を見つけたようです。

「居場所」について、精神分析家の北山修は「自分が自分でいるための環境」と言っています。同じく精神分析家の妙木浩之は「こころの居場所」について、「どこにいても自分らしくいられること、こころが〝そこにあって大丈夫だ〟と思える心理的な場」であると述べています。

すべての人がA子さんやB君のように学校生活で「こころの居場所」を見つけられるとは限りません。例えばC子さんです。彼女は入学後、新しい友達を作り、いつも皆と一緒に過ごしていました。ところが数か月たち、彼女は、自分の友達関係に次第に居心地の悪さを感じ始めます。最初は友達作りに必死でしたので、懸命にみんなに合わせて無我夢中でした。しかし次第にふとこう思うようになります。「私はみんなに合わせて毎日を楽しそうに過ごしてはいるけど、本当は楽しいなんて感じていない」「本当はみんなの意見にはとても同意できないけど、みんなのノリに合わないといけない。だから思ってもいないことを思っているかのように偽っている」と。しかし、今の仲間ともし離れてしまったら、もう誰も大学に友達がいなくなってしまう、その後の大学生活を一人で過ごさなければいけない、それはとても耐えられないと苦悩します。一年生の友達作りの時期を逃してしまうと、他の学生たちはもう違うグループを作っているので、新たに友達を探すことができなくなるのだそうです。本心を隠して生きていくのはとても窮屈ですし、そのような状況では少なくとも自分らしくいられず、そこに「こころの居場所」があるとはいえません。結局、C子さんは思案した末にグループを離れましたが、予想通り周囲には新しい友達になってくれそうな人は見当たらず、しばらく一人で過ごすことになりました。

このような大学生を見ていると、友達作りのチャンスが入学時期に集中しすぎているのかなと感じます。入学早々に慌てて友達作りをすすめ、相手のことをよくわからないままにつながりあう。それがたまたま上手くいかなかった場合、それだけで卒業するまでの数年間ずっと友達関係で苦労してしまう、最悪退学まで考えてしまうほど追いつめられてしまう。もちろん、中には人とのコミュニケーションがそもそも苦手という学生もいます。どんな相手と巡り合ったとしても「こころの居場所」がどうしても持てないという問題を抱えていたり、大学に行きたくない、教室に入れないと思ってしまう人もいます。その理由は様々ありますが、根底に共通してあるのは、大学の中に「こころの居場所」がないことではないかと思います。

「こころの居場所」は、普段、その存在自体を意識することはなく、失って初めて、それが今の自分にはないと痛感します。「こころの居場所」がどこにも得られないという人の場合は、これをじっくり取り戻していく時間と作業が必要です。しかし、チャンスさえあればいつでも「こころの居場所」を取り戻すことができるかもしれないC子さんのような人もいます。その場合、一度友達作りに失敗したとしても、またいつでも新しい友達に巡り合えるような柔軟な風土が大学の中にあるといいなと思います。また、「こころの居場所」がないと感じている人も、少し視野を広げて見てみると、大学の友達関係とは違う「こころの居場所」を見つけられるかもしれません。ゼミの先生や学科の先生たちとの交流から、「こころの居場所」を取り戻していった人もいます。また学内に「こころの居場所」がみつけられない場合でも、学外にそれを得ることで再び大学生活に活気を取り戻す人もいます。多くの人たちが北星学園大学に「こころの居場所」を得られるようになるには、大学に属する学生、そして教職員も含めたみんなが、互いに仲間なのだという意識を持ち、隣に座った隣人を大事にしていくささやかな心遣いも大切なのではないかなと思います。

(一粒の麦 No.50 2014年9月)

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2019年04月05日