不安障害の諸相とカウンセリング-パニック・全般性不安障害・社交不安・強迫性障害

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はじめに

生きていると心配の種がつきないものです。喜びの中で幸せに生きていたとしても、何かをきっかけとして不安の中で生活しなければならない時期が一度や二度はやってくるのかもしれません。不安は人間を成長させると言われることがありますが、その反面、あなたの幸福感や安全感を根こそぎ奪い去ってどん底の精神生活を強いる可能性もあります。不安があなたの日常生活の自由を奪い、マイナス感情の蟻地獄に突き落とすとしたら、通常の不安はもはや不安障害のレベルに達しているはずです。そんなときはどうぞ、誰かの助けを求めてください。

この記事では、さまざまな不安障害とそのカウンセリングについてお話しするつもりです。通常の不快感情としての不安から、ケアが必要になる不安障害まで網羅的に論じることになります。なお、感情と類似する言葉に気分、情緒、情動などがありますが、厳密に区別して使いませんでした。以下は目次になります。

もくじ

*はじめに
*緊張と不安
・緊張
・不安
*不安のコントロール
*いろいろな不安障害
・パニック障害
・社交不安障害(対人恐怖症)
・全般性不安障害
・恐怖症(恐怖症性不安障害)
・強迫性障害
*不安障害の治療法
・薬物療法
・カウンセリング
*おわりに

かなり長い記事になりました。全体を読み通すとだいたい20分くらいかかると思います。いま現在いろいろなことがあって、不安に押しつぶされそうな方に読んで頂くことを想定して書きました。お時間のあるときに、じっくりとお読みください。でも、疲れたときには一気に読もうとせずに、休み休みお読みください。

 

緊張と不安

 

精神医学的な治療やカウンセリングが必要になるレベルの不安、つまり不安障害のことをお話しする前に、まず、私たちにとって自然な現象と言える、緊張と不安について触れておくことにします。「不安」は「不安-緊張」と表現されることもあるくらいですから、両者は密接な関係にあります。私見ですが、不安と緊張は表裏をなしていて、精神的な不安の裏面が身体的な緊張であると表現できるのかもしれません。

緊張

緊張とは、精神的・身体的にとても張りつめた、テンションの高い状態にあることを言います。よく言う「ハイテンション」とは異なります。筋肉のトーヌス(緊張)が高まって収縮し、何かに対して身構えている状態、警戒している状態です。心臓がドキドキしたり、喉が渇いたり、汗をかいたりもします。

適度の緊張は、身体的な姿勢を通じて、私たちの意識を保つ役割も担っています。清明な意識を保って、頭がすっきりしているためには、適度な緊張とともに直立姿勢でいるか、着座姿勢でいることがよいでしょう。しかし、過度に緊張してそれが極限に達すると、意識を失ってパタリと気絶してしまうことがあります。意識を失うほどにはならないにせよ、過度の緊張によって何だかぼんやりしてアクビが止まらなくなることもあるでしょう。また、楽な姿勢で横たわると緊張が解け、心身ともにリラックスして眠たくなってくるはずです。

不安

不安とは、外的な刺激や内的な刺激に対して、その人が何らかの危険を感じたときに生じる精神的・身体的な感情反応で、生理学的な身体反応とその認知的な評価の複合体であると言えます。さきほど「緊張」に関して説明したさまざまな身体の変化が、「不安だ」「怖い」「不気味だ」「ビクビクする」「ドキドキする」「ハラハラする」など、言葉によって意味づけられたときに、不安というひとつの感情体験が生じます。

不安が感情体験として意識されるには、前後の文脈が非常に大切になってきます。その人が置かれている文脈が、目前に危険が迫っているような状況であるとすれば、そこで生じるさまざまな身体的変化が不安として意味づけられ、不安な気持ちになるはずです。ところが、その人に身の危険が迫っていない状況で心臓がドキドキしたとしても、「何だか動悸がするな」という漠然とした身体感覚の言語化にしか至らないはずです。もちろん、激しい動悸に対して「自分は死ぬのではないか」という意味付けがされた場合には、不安な気持ちになるでしょう。これは、内的な刺激に対する反応です。

不安は比較的漠然とした感情で、恐怖の感情とは少し異なっています。恐怖であれば、たとえば虫のクモが怖い場合などには、恐ろしい対象がはっきりしていることが特徴になるでしょう。いずれにせよ、不安は誰にでも生じる自然な感情なのですが、それが日常生活を脅かすほど強すぎたり、頻繁に生じるときには、不安障害としてメンタル面のケアが必要になってくるのです。

 

不安のコントロール

 

次に、私たちが不安感情をどのようにコントロールしているのか考えてみましょう。人間が不安になるのは当然のことですが、多くの方々は、日常生活に支障を来たさない程度まで不安を静穏化してコントロールしながら生きています。ところが、私たちは生まれながらにして不安感情をコントロールする能力を授かっているわけではありません。それは、成長の過程で身についたものなのです。

一番わかりやすいのは、発達的な視点であると思います。8カ月不安で人見知りする赤ちゃんとその世話をする母親を例にして考えてみましょう。

生後8カ月くらいになると、母親が離れたり、見知らぬ人が姿を現わしたりするとき、赤ちゃんは大きな声で泣き出してしまいます。これは、馴染みのある「既知の人」と見知らぬ「未知の人」を、区別することができるようになったことの印です。このような、最初の人見知りを8カ月不安と呼びます。母親が離れるほうは分離不安ですが、人見知りの方は未知の人に対して感じる不安です。もちろんこの時期の赤ちゃんは、大人のような「不安という意味体験」をしているわけではないでしょう。まだ言葉を自在に使うことができないのですから。

さて、赤ちゃんが不安になってワーと大きな声で泣いたら、多くの母親はどうするのでしようか。おそらく赤ちゃんが泣きやむように、抱っこして身体をゆーらゆーらしたり、一定のリズムと強さで優しくその身体をポンポンポンとしたり、赤ちゃんをあやす独特の声のトーンを使って言葉のシャワーを浴びせたりするはずです。うまくいけば赤ちゃんは泣きやみます。不安が静穏化して、落ち着きを取り戻すのです。そこには、安心感と安全感の中で母親に守られている赤ちゃんがいます。

ここで何が起こっているのか、少し考えてみましよう。

赤ちゃんは不安の中で泣いています。そのままでは、自分一人で泣きやむことができません。ほっておくと、ずっと泣いています。この泣きの振る舞いが母親の養育行動を触発します(この点で母親は赤ちゃんにコントロールされています)。触発された母親は子どもの不安を静めようとあやします。その結果、子どもは安心感と安全感の中で満たされ、落ち着きを取り戻すことになります。ここにいるのは、不安な赤ちゃんと、赤ちゃんをなだめる母親の二人です。ここです、重要なのは。ここには、助けを求める不安な赤ちゃんと、その不安を静穏化してコントロールしようとする母親からなる一つの「ペア」が存在しているのです。

不安の振る舞いを示す存在と、不安を静穏化してコントロールしようとする存在、この二人からなるペアが、後に不安を独力でコントロールする能力へと変化していきます。では、どのようにして?

ケアされる者とケアする者の社会的な交流は、やがて子どもの心の中にイメージとして取り入れられていきます。そして、不安になっても独力では何もできなかった赤ちゃんは、自分が不安になったときに、そのような自分自身をかつての母親のようになだめることができる大人になっていきます。つまり、不安になったときにそうした自分をケアする働きが心の中に作られて、自分一人で不安を静穏化してコントロールする力が内面化されるのです。

不安になったときに自分自身をなだめる自分、心が不穏になったときに落ち着かない自分自身をコントロールする自分、このような役割を担う内的自己が心の中にしっかり宿ると、私たちは何とか独力で不安を和らげることができるようになります。もちろん、大人になってからも、サポートしてくれる誰かが身近にいることはとても大切なことです。

不安のカウンセリングの原型は、こうした感情調整機能の社会文化的発達に求めることができるでしょう。クライエントとカウンセラーのあいだで不安がコントロールされ、二人のあいだで営まれていた不安を静穏化する機能・働きが次第にクライエントの心の中に収まっていき、少しずつ、独力でも不安を収めていくことのできる能力が育っていくのです。

不安になったときのコントロールばかりお話しましたが、赤ちゃんにとってそれ以前に大切なのは、安全に守られた、安心できる母親との関係です。不安のカウンセリングも同じです。クライエントとカウンセラーの安全で安心できる関係性が、クライエントの精神的な回復力を育んでいく基盤になるはずです。

 

 

いろいろな不安障害

 

誰にでも生じ得る不快感情としての不安についてお話してきましたが、ここからは何らかのケアが必要になる不安障害について説明することにします。どうして不安障害になるのかという問いに対しては、これまでお話してきた不安を静穏化してコントロールする心の働きが十分に機能していないからなのだ、と答えることができるのかもしれません。これは心理社会的レベルでの回答です。生物学的なレベルの要因も重要ですが、この記事では割愛することにします。

不安障害にはさまざまな種類があります。ここでは、パニック障害、社交不安障害(対人恐怖症)、全般性不安障害、恐怖症(恐怖症性不安障害)、強迫性障害についてお話します。事例はすべて架空のAさんです。なお、基本的に国際的な診断基準のDSM-5やICD-10を参照しているものの、あくまで参考程度にとどめています。診断カテゴリーや内容の詳細などは専門家以外にはあまり意味のないことでしょうから、この点についてはご了承願います。

 

パニック障害

Aさんは、いわゆるブラック企業に勤務していました。連日残業が続き、休日も休む時間がなかなか取れません。心身ともに疲れ切っています。そんなある日、それは突然やってきました。パニック発作です。

毎日揺られる満員電車。通勤の混雑には慣れっこになっています。しかし、その日は違っていました。電車の中で、何となく眩暈(めまい)がします。身体がふらついて、少し気が遠くなる感じです。何か変だ。心臓がドキドキしてきた。身体がほてって、汗が噴き出してくる。苦しい。息ができない。窒息するかもしれない。指先が震える。なんだか胸が痛い。お腹もおかしくなってきた。吐きそうだ。自分はこのまま死ぬんじゃないのか。恐ろしい。アーッと叫び出しそうになる。

電車を降りるころ、このパニック発作は収まっていました。しかし、ちょっと指先の感覚が麻痺したかのようで何も感じないし、目の前の風景がまるで絵に描いたもののようで現実感がありません。寒気もする。自分は一体どうなってしまったんだろう。

これが最初のパニック発作でした。

その後も発作は繰り返されました。それは予期せずにやってくるのです。Aさんは、電車に乗るとまたいつ発作がやってくるのか分からないと不安を感じるようになりました(予期不安)。あの激しい恐怖はもういやだと頭を抱えます。Aさんは発作を避けるためにしだいに電車に乗れなくなっていき、会社も休みがちになりました。

パニック発作はとても苦しい症状です。それが何度も繰り返されるのがパニック障害です。パニックが起こりそうになったときにその予兆を察知することができれば、事前に対処することによって発作を未然に防ぐ可能性が生まれます。この対処法は、認知行動療法の専門家が得意にするところなのかもしれません。

パニック発作が起こったときに、救急車を呼ぶ方が少なからずいるようです。死の恐怖に怯えてです。しかし、発作自体は自然に収まるものです。それは、何度も経験している本人が一番よく知っていることでしょう。いざ発作が起こってしまったらどうすればよいのか、その方法を熟知しているのは専門家ではなく、御本人なのです。何度も繰り返すパニック発作の中で身につけた知恵を大切にしてください。

 

社交不安障害(対人恐怖症)

Aさんはとてもシャイな性格で、人づきあいが苦手です。振り返ると、物心ついた頃から、人前で過度に緊張してしまいます。強い不安を感じるので社交場面に顔を出すことを回避しがちなのですが、どうしても避けられないときには非常に強い苦痛を感じます。

人前でスピーチしなければならないとき、誰かが見ている前でパソコンを打ち込んだり文字を書かねばならないとき、初対面の人やあまりよく知らない人と会話しなければならないとき、会社の忘年会や新年会に出席しているときなどは、非常にプレッシャーになります。頬が紅潮して赤くなったり、嫌な汗をかいたり、心臓がドキドキして手が震えたり、声もプルプル震えてしまいます。書類がベタベタに濡れてしまうほど、掌(てのひら)に汗をかくこともあります。いわゆる「あがり症」「赤面症」です。ひどいときにはすぐに胃腸の調子が悪くなって、お腹が下ることも少なくありません。

Aさんには、自分は周囲にどう見られているのだろう、あがっていることに相手が気づいて自分を拒否しないだろうかという不安や、そんな姿を周囲に晒すことで恥ずかしい思いをするのではないかという不安があります。不安そうに見えているに違いない、という思い込みもあるのかもしれません。

人前で自意識過剰になって、周囲のことが全く見えなくなってしまうこともあります。ドキドキする鼓動、震えそうになる声、噴き出す汗の方に注意が向いてしまい、そのような自分の反応に周囲が気づくのではないかとハラハラした状態になるのです。

一人でいるときには、また恥ずかしい思いをするのではないかとクヨクヨしたり(予期不安)、恥ずかしい思いをした過去の出来事を繰り返し思い出しては(反芻思考)、ため息をつきます。ますます人前に出ることが苦痛になり、引きこもる生活を送りがちになります。結果として外出も億劫になり、後述する広場恐怖に至ることもあるようです。

社交不安障害は、日本では古くから対人恐怖症と呼ばれてきました。外国とはちょっと違った、日本独特の心の病です。罪の文化を背景とする欧米の社交不安障害と、恥の文化を背景とする日本の対人恐怖症は、後者がより他者配慮的であるところが違っていて、相手が自分のことで不快な思いをするのではないかという懸念が強いようです。両者はまったく別の不安障害というよりも、文化的な表現形態の違いによるものと思われます。いずれにせよ、日本では社会問題になっている引きこもりと直結しているので、社交不安障害(対人恐怖症)はこれからも注目される不安障害であることに疑いはありません。

 

全般性不安障害

Aさんはかなり前から、6カ月以上にわたって、とても強い不安や心配な気持ちが続いていました。どうしてこうなってしまったのか、自分ではそのきっかけが定かではありませんし、不安に押しつぶされるだけで自分の力ではもうどうすることもできないと感じています。

特に何が心配というわけではないのです。いろいろなことが不安で、いつでもどこでも頭の中を心配ごとが占領しています。心細い感じもあって、とにかくホッと安心することができないのです。

いつも神経が高ぶっていて、落ち着きなくソワソワしてしまいます。ちょっとしたことが心に刺さって、イライラしたり、怒りっぽくなることもあります。どこにいても、誰と会っても緊張するし、筋肉も緊張しているので、いつも頭痛や肩こりや腰痛に悩まされます。何かに集中して取り組むことも難しくなっています。気がつくと他のことを考えていたり、頭の中が空白になってぼんやりしてしまうことがあります。今はなかなか寝つけないし、寝たとしても熟睡感がありません。

全般性不安障害は、むかし、むかし、不安神経症と呼ばれていました。もともと神経質な性格の人に発症しやすく、男性よりも女性の方が多いことが分かっています。これはあくまで私見ですが、全般性不安障害は、不安障害の中核をなしているように思われます。というのも、不安に押しつぶされている人の姿をイメージすると、この全般性不安障害の診断基準がぴったりなのです。

 

恐怖症(恐怖症性不安障害)

恐怖症とは、特定の対象や状況に対して、とてつもない恐怖を感じる心の病のことです。特定の恐怖症、限局性の恐怖症という呼び方もあります。また、その他の不安障害と重複する分類もあります。

恐怖症には、たとえば以下のようなものがあります。

*社交不安障害(ソーシャルフォビア):これについてはすでに述べました。その他にも、社会恐怖症、社会不安障害、赤面恐怖症、対人恐怖症などの呼び方があります。

*広場恐怖症(アゴラフォビア):精神分析のフロイトも、一時期この症状に苦しんでいたようです。

*閉所恐怖症(クラウストロフォビア):閉塞感がある閉ざされた空間に対する恐怖症で、たとえばCTやMRI検査の撮影ができない場合があります。

*高所恐怖症(アクロフォビア):高いところが怖い人はかなりいるはずです

*飛行機恐怖症(フライトフォビア):国内の移動にはもっぱらJRや自動車を利用して、飛行機を避ける人たちがいるはずです。遠方への出張は、おそらく夜行列車に乗るのでしょう。

*先端恐怖症(ベロネフォビア):尖ったものが恐ろしく感じられます。

*動物恐怖(ズーフォビア):クモ恐怖症(アラクノフォビア)のように特定の生物を恐れます。もちろん、クモは母親の象徴なのでしょうが・・・・(H.S. Sullivan)

*歯科治療恐怖症(デンタルフォビア):歯医者さんが怖くて、虫歯があっても適切な治療を受けずに放置せざるを得ない人たちがいます。

*男性恐怖症(アンドロフォビア)と女性恐怖症(ガイノフォビア):日常場面でわりとよく使われる言葉でしょう。

*その他

この中には、一般的な場面でよく使われるものの、必ずしも正式な精神医学の診断基準にはなっていない用語が含まれています。その他にもいろいろなフォビアがあります。たとえば、放射能恐怖症(ラジオフォビア)という診断名があります。これに関しては、長崎・広島の原子爆弾や福島の原発事故を体験した私たち日本人にとって、どのように受け止めたらよいのか苦慮するものでしょう。

 

強迫性障害

Aさんには、強迫観念とか、強迫行為と呼ばれる症状がありました。精神科クリニックで強迫性障害と診断され、薬物療法を中心とした治療を受けています。最近は症状も緩和されて、比較的落ち着いた日常生活を送ることができるようになってきました。

以前のAさんは、不意に侵入してくる思考に悩まされていました。それは「ある日突然、両親が事故で死んでしまう。自分は一人ぽっちになってしまう」という不合理な考えでした。事故現場の悲惨なイメージが思い浮かぶこともあります。それは何度も繰り返して起こるので、抵抗することができずにとらわれてしまうことになります。Aさんはそのたびに不安になり、強い苦痛を感じるのでした。

Aさんは、そのような考えやイメージを無視しようとしますが無駄です。抑え込もうと必死に努力するのですが、それもやはり徒労に終わります。結果として、強迫観念を追い払うためにAさんが行きついたのは、いわゆる強迫行為(こだわり)でした。

Aさんは頭の中で数字を数えます。「3、6、9、12、15、18、21、・・・・」声に出して言葉を繰り返します。「あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ・い・き・し・ち・に・・・・」不安から解放されるまで、延々と繰り返します。

Aさんは一日に何度も手を洗います。丹念に、時間をかけて。清潔を保たなければ両親が死んでしまうからです。繰り返し手を洗えば両親の生命を守ることができるのだと、ほとんど確信しているようです。

Aさんには就眠儀式がありました。リビングから寝室までの経路に10個のパワーストーンを置いていて、一個ずつ手で触れながら寝室に向かいます。一個目は右手の親指から、人差し指、中指、薬指、小指へと、順に触れます。二個目は左手で同じ動作を繰り返します。この動作を10個のパワーストーンで繰り返して、やっとのこと寝室のベッドにたどり着くのです。ベッドに横たわると1から100まで数字を数えます。不吉な4と9がつく数字は飛ばさなければなりません。失敗なく最後まで数えることができると、Aさんはやっと目を閉じることができるのです。

Aさんは、数々の強迫行為を駆り立てられて行っているだけで、自分ではどうすることもできません。不安を和らげ、苦痛を回避するために行っていたのですが、いつしかそのような目的も見失われていきました。Aさんはつぶやきます。「こんなことをするのは不合理だ。変だ。そんなこと分かっているんだけど、やらなければ不安なので止めることができない」

日常生活に支障を来たすことになり、また出社することもままならなくなり、Aさんはやがて休職することを余儀なくされてしまいました。

さて、いままで強迫性障害は不安障害の一つとして位置付けられていました。フロイトの精神分析理論だと強迫は不安に対する防衛であり、不安はその中核的な病理として重要視されていたわけで、そのようなモデルに基づいた分類が行われていたのです。

しかし、2013年に改訂されたDSM-5からは、強迫性障害は不安障害から独立して強迫関連障害の中のひとつに位置づけが変わっています。たしかに、不安に乏しい強迫性障害が少なくないわけで(発達障害の強迫性に近づきます)、カテゴリーの変更には一理あると思います。ただ、やはり不安が中核的な強迫性障害もまだ存在しているように思われますから、ここでは従来的な分類にしたがうことにしました。まあ、この部分は専門家にしか興味のないところでしょう。

 

 

不安障害の治療法

 

薬物療法

不安障害の治療には、抗うつ剤、抗不安薬、抗精神病薬、気分安定薬、睡眠薬、漢方薬などの薬物療法が行われます。不安障害にはいくつかの疾患が含まれていますから、カテゴリーごとに主として使用される薬は異なりますし、一人ひとりの状態によっても左右されるはずです。詳しくは、これから通院をお考えのクリニックの精神科医に相談してください。札幌市内のクリニックをお探しの方は、こちらの記事「心療内科と精神科」をお読みください。クリニックの検索サイトを紹介しています。

カウンセリング

不安障害のカウンセリングにはさまざまなモデルがあります。認知療法を含めた認知行動療法が有効だというエビデンスもあります。しかし、ここでは認知行動療法系のモデルにはこだわらないで、われわれが考える独自のモデルを紹介したいと思います。これは、以前ライターTが書いた論文「不安静穏化機能尺度の開発-因子構造、信頼性、妥当性の検討」の中で論じたことです。

私たちの心の中では、不安な気持ちをなだめて静穏化する機能が働いています。不安は、自分の周囲にいる信頼できる誰かとの関係の中で、話をしたり、サポートを受けたりすることによってコントロールされるのですが、自分一人でもある程度コントロールすることができるのです。たとえば、静穏化機能には以下の三つが考えられます。いずれも、精神的回復力としてのレジリエンスと関連することが分かっています。

ひとつは、自動的な不安静穏化機能です。私たちは、不安になったとしても、しばらくして気がつくと回復していることがよくあります。つまり、意志的な努力なしに自動的に感情調整が行われているのです。そのためには、楽観的な態度や他者の心理を理解する力がある程度求められます。

ひとつは、肯定的な声による不安静穏化機能です。「声」については少し説明が必要でしょう。肯定的な声というのは、私たちの心の中に宿っている肯定的な他者たちのことで、生きていくうえでの根本的な安心感や安全感を与えてくれるものです。今までの人生を振り返って、自分に勇気を与えたり、心が温かくなるような言葉を誰かに言われたことはありませんか? 自分の内面に、そうした心あたたまる人たちの声が響いていると、不安な気持ちになっても回復しやすいのです。

ひとつは、セルフトーク(ひとりごと)による静穏化です。たとえば、気持があせったとき、そんな自分に対してまるで優しい母親のように「大丈夫だよ」と話しかけてみるのです。一人二役です。心の中で(あるいは声に出して)自分自身に話しかけることをセルフトークというのですが、セルフトークを積極的に活用して不安な気持ちを落ち着かせることも可能です。

さて、こうした不安静穏化機能を育てていくためのカウンセリングについてお話して、この記事を閉じたいと思います。

まず、生きていくうえでの根本的な安心感・安全感は、基本的信頼感などと表現されることもあります。これは、たとえて言えば、グラグラして不安や恐怖を与える大地を安定させて、揺らぎのない、安心してその上に立てるような大地を作り出すことによって実現されるでしょう。そのためには、カウンセラーとの温かみがある関係、受容的な関係、肯定的な関係が必要になるはずです。カウンセリングという安全で自由な空間のなかで、あるがままの自分でいることを積み重ねていくと、ぐらついていた大地はいつしか安定していくことでしょう。

楽観的な考え方や、セルフトークは、主に認知にアプローチするカウンセリングによって可能になるでしょう。悲観的な考え方や、自己否定の思考など、自分を追い込んで不安にする認知に気づいてそれを断ち切る一方で、自分の心をなだめるようなセルフトークを積極的に活用する努力をするのです。認知を取り上げるということは、実は自分自身と内的に対話することを意味しています。カウンセラーは、クライエントの内的対話を肯定的に促進する役割を担うことになるでしょう。

不安障害の認知行動療法だと、たとえばエクスポージャー(暴露療法)や曝露反応妨害法をあげることができます。大まかな説明になりますが、これは不安を喚起する現実場面やイメージにクライエントを直面化させて、少しずつ慣れていくことを目指すものです。段階的に不安と向き合うセラピーと表現できるかもしれません。その他にもマインドフルネス認知療法、自己教示訓練、系統的脱感作、自律訓練法、その他があります。

これは不安障害にかぎらず言えることですが、カウンセリングをお考えの方は、自分にぴったり合ったアプローチとカウンセラーに出会えるとよいですね。それから、カウンセリングの経験のある方の中には、「クライエント中心療法を受けてみたけど、ただ話を聞くだけで何もアドバイスしてくれなかった」、「認知行動療法を1クール受けてみたけど、何も変わらなかった」など、不満をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。残念ながら、カウンセリングはすべての方に効力があるわけではありません。そのような方には、「やってみて一定の効力があれば続けてみる。一定期間続けて何の変化もなければやめる」という、シンプルな判断基準に従うことをお勧めしたいと思います。

 

おわりに

 

不安障害とそのカウンセリングについて、網羅的にお話させていただきました。これから心療内科や精神科のクリニック受診をお考えの方や、札幌市内のカウンセリングルームで臨床心理士・公認心理師のカウンセリングをお考えの方に読んで頂けると幸いです。

不安障害はうつ病と併発しやすいことが知られています。うつ病のカウンセリングについては、こちらの記事「うつ病かな?そんなときには心理カウンセラーに相談するのもよいでしょう」をお読みください。

では、長時間おつきあいくださり大変ありがとうございました。感謝いたします。

 

参考文献

アメリカ精神医学会「精神疾患の診断・統計マニュアル:DSM-5」医学書院

世界保健機関WHO「ICD-10 精神および行動の障害:臨床記述と診断ガイドライン」医学書院

田澤安弘・橋本忠行(2019)「不安静穏化機能尺度の開発-因子構造、信頼性、妥当性の検討」人間性心理学研究、第37巻1号

 

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2019年03月21日