嘘いろいろ

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こんにちは。カウンセラーの近田佳江です。みなさんは最近何か嘘をついたことがあるでしょうか。社会的には、嘘はついてはいけないもの、よくないものという価値判断があります。子どもが幼い時、親は「嘘をついてはいけません」と言って躾をするのが通常です。ところが、人間が生きていく上で嘘はつきものです。嘘にもいろいろあると思いますが、「ついてはいけない嘘」といえば、詐欺や、悪徳商法など法律でも罰せられるような行為です。相手をあざむいて自分が得をしようとすることをもくろんでいるような場合の嘘は、社会的には認められません。

しかし、嘘は一概に悪いことばかりではありません。相手を喜ばせようとして、喜びそうなことをこっそりと計画し、本人にはギリギリまで内緒にしておくことはよくあります。例えば、お誕生日のお祝いを企画して、本人には当日までそれを内緒にし、当日に喜んでもらうため嘘をつく場合などがあります。

また、嘘は、時に対人関係がきしまないようにする働きもあると思います。素直な子どもは、自分の思ったことをストレートに言葉に出します。ところが、大人になると、思ったことをそのまま口にすることが良いとは限らないケースも出てきます。私たちが、親密ではない相手や初対面の人と会って会話する時、最初は相手と表面的な会話をしてその場の空気を良いものにしようと努めます。最初から思うままに「ずいぶん太っているね」「結構老けていますね」などとはあまり言いません。それは、相手が気にしているだろうなと想像できるから、あるいは言ったら傷つくのではないかと想像できるからです。日本人は特に相手の気持ちを察することが得意ですから、本人が気にしているだろうと思うようなことの場合は、「そんなことないですよ」とか「いつもお若いですね」など褒め言葉にして返してあげたりするのではないでしょうか。こういう場合の嘘は、相手を傷つけたくないとか、失礼なことは口にしないなど、相手を思いやってつく嘘です。こんな会話があるからこそ、円滑な対人関係が保てるということは多くあります。

また、誰かを守るためにつく嘘というものもあります。例えば、何かの事件や事故に巻き込まれて幼い子どもの親が亡くなったとします。子どもが幼い場合、周囲の大人は事実を直接伝えずに、「お母さんは病気で亡くなったんだよ」などと説明し、その子がもう少し大きくなって事実を受け止められる年齢になってから本当のことを話して聞かせるという場合もあります。その子を不安におとしいれないためにつく嘘もあるのではないでしょうか。

人間は日常の中で人を思いやって嘘もつけば悪意にみちた嘘もつきます。ただ、自分では意識して嘘をつこうとしてはいなかったのに、結果的に嘘になってしまうということもあります。この話で、ある女性のことが思い出されます。この女性は、自分自身である行動にブレーキをかけることができない心の病気にかかっていました。彼女はそれを克服するために入院治療を受けることになりました。入院中、彼女の救いはいつも励ましてくれるある看護師さんの存在でした。2人は丁度年齢が同じくらいで、次第に親密さを増し、互いに個人的な話をするまでになります。あたかも友達同士のようになりました。女性は「あの看護師さんのために病気を治す」と口にし、退院予定日には問題行動を起こしたくなる気持ちがすっかりなくなっていました。女性は看護師さんと共に感激し合い退院していきました。ところが、この病気は日常生活に戻ってからも自分自身に心のブレーキをかけられるかどうかが問題になるため、実は退院してからが本当の勝負になります。しかし、気持ちが高揚している彼女には、再発するかもしれないという心配も実感もありませんでした。退院後、女性はしばらく通院していたのに急に来なくなります。どうやら再発したようです。彼女は「やっぱり駄目だった。家に戻ってしばらくしたら再発した。治療を続けたいが、あの看護師さんに合わす顔がない。あんなに一生懸命に2人で頑張ったのに恥ずかしい結果になった。とても恥ずかしくてもう行けない」と悲しみ、自分が看護師さんを裏切った悪者のように受け止め、罪悪感に苛まれていたようです。この女性は、退院するときに嘘をつこうと思ったり、わざと看護師さんを喜ばそうとしたわけでもありません。退院する時は、本当に自分は大丈夫という自信が強くあったのだと思います。

このような出来事は、教育現場でもよくあるのかもしれません。例えば、万引きを常習的にやっていた生徒が、学校の先生に諭され、先生の熱い気持ちに心打たれて「もう絶対にしない」と誓ったのに、しばらくしてまたやってしまう場合などです。人の心が変化していく時、何か感情を伴う経験がその転機になる場合もありますが、それでもどうしようもなく変えられないという根深い問題もあります。一時の感動や感激だけではうまくいかないこともあります。カウンセリングをしていると、人が変わることが、どれだけ大変なことでどれだけ紆余曲折するものなのかを実感します。そのような中で、相手のその時の気持ち、例えば「絶対にもう悪いことはしない」と誓う強い気持ちも嘘ではないと信じつつ、かつ、それでもなお再び繰り返してしまうような場合に、それでもくじけずに相談に来つづけてもらえるように、その人の今の気持ちと今後起こりうるかもしれない可能性の気持ちに対しても目を向けます。そうすると「嘘をつかれた」とか「あんなに親身になってやったのにあいつに騙された」などと思わずに構えていられるような気がします。

(一粒の麦 No.36 2007年9月)

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2019年04月19日